人はみんな、一番しあわせになれるようにデザインされて生まれてくる、という話。

こんにちは。中込です。

ドイツのベルリンで毎日ボーッとしています。

風と日差しがきもちいいです。

 

 

今日は、旅友だちと話していて、自分にとって妙に納得感があったことを書きたいと思います。

 

「人はみんな、一番しあわせになれるようにデザインされて生まれてくる」という話。

 

 

 

運命の人には何度も出会えるらしい。

 

こんな話になったのは、もともとは旅人Sくんの恋愛話がきっかけでした。(男2人ドイツで恋愛話とかむなしい)

Sくんいわく、旅をしていて「うおー、めっちゃかわいい!また会いたい!」って思った子に、

別の場所で再会できることが多いんだとか。

 

「誰のもとにも運命の人はバシバシ来てんすよ!そのチャンスに気づいてるかどうか、気づいて行動に移しているかどうかなんすよ!」

 

うーん、なんだか深いような深くないような、てかなんでこんなに熱く恋愛理論語ってるんだ、という感じで話半分で聞いていたんですが、

確かに、旅をしていて「しあわせになるチャンスは誰のもとにも来ている」と感じます。 

 

 

人はもともと、誰しも一番しあわせになれるようにデザインされている

 

日本にも、アフリカにも、インドにも、ヨーロッパにも、

しあわそうな人はいます。しあわせそうじゃない人もいます。

 

人は生まれてくる環境はちがうけど、しあわせになるチャンスはバシバシ来ているんだと思います。

それこそ、そのチャンスをつかみ続けていった人が、世界で一番しあわせになれるんじゃないかっていうくらいに。

 

ただそのチャンスに気づける人、気づけない人がいる。そして、そのチャンスをつかみにいける人、つかみにいけない人がいる。

 

しあわせってもちろん「今すでに手のひらの中にもあるもの」でもあるし、「切り開くことで新たに手に入るもの」でもあるけれど。「今あるもの」に気づけるかどうかも含めて。

 

 

ぼくはいろんなチャンスを逃し続けてきた。でもささいなきっかけで、世界一周へ出た

 

今思えば、ぼくはいろんなチャンスを逃し続けてきました。

 

高校時代には、部活や学校生活で熱い青春時代をすごすことができたかもしれないし、交換留学でもして世界を広げることができたかもしれません。でも、ぼくは何にも打ち込めずにいました。

大学時代には、尊敬する友だちに多く出会ったものの、彼らと多くの時間をともにすることはありませんでした。結局ダラダラとした大学生活を送っていました。彼らとすごしていたら、全然ちがった大学生活になったかもしれないのに。

社会人でも、いろんなチャンスはあったでしょうけど、ぼくは自分の殻に閉じこもったままでした。

いや、もちろんつかんだチャンスもたくさんあるんですけど。

ただ、つかめなかったチャンスがたくさんありました。自分で気づきもしなかったチャンスもたくさんあったと思います。

 

 

ただ、その後もチャンスはバシバシと来ていました。

 

社会3年目の終わりに、友だちに誘われた教育交流会にたまたま行って、

(会社の同期が出ていたからなのかな、なんで行ったのかよく覚えていない)

そこにいたポジティブな人たちに感化され、

ずっとやりたかった子どもたちにダンスを教えることを再開し、

それがきっかけで好きなことをやりたいと思い、世界一周を始めました。

  

ようやく自分の人生を始めることができた、と感じました。

  

振り返ってみたら、きっかけはささいなことでした。

 

 

最後に。

 

実は、チャンスは誰のもとにも山のように降り掛かってきているんだと思います。

それに気づけているかどうか。そしてつかみにいけているかどうか。

 

何が言いたいかというと、 

しあわせになるチャンスはいつだって山のようにきてるんだから、今からでもつかみにいけばいいじゃんということです。

 

おしまい。


ごめ(中込孝規)
「世界とつながるダンス教室」代表。 世界一周をしながら、1万人以上の子どもたちにダンスを教えた。現在は、講演やダンスワークショップ、日本と海外の子どもたちを中継でつないだダンス交流会など、様々な活動をしている。

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